ふしみ大手筋どうぶつ病院の歴史
* @〜25 は下の注釈をご覧下さい
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注釈
@ この当時は動物病院が分院を作るという流れがなくって、開設にあたってはいろいろな問題がございました(・・・遠い目)
伏見のこの地に決まるまでもあちこち候補地を選定しましたが、最終的には直感で決めました。酒の名所・伏見の酒蔵に囲まれ緑豊かでのどかなこの地は、風水で観ても素晴らしいところです。アイラブ伏見!
A 実家が神戸で、家は半壊し、親はしばらく避難所で過ごすことになりました。直後は車はなかなか通れなかったため、バイクの後ろに食料やコンロを山盛り積んで夜中に激走しました。避難所の体育館では人と一緒に犬や猫も暮らしていて、薬類も持っていって簡単な治療をしていました。短い時間でしたが、一緒に避難所で寝泊まりして、動物を治すこの仕事もそれなりに必要とされているんだと実感できました。
B 開院当初、林屋牧男先生の紹介で、病院の犬としてやって来ました。人間の言葉がわかる犬で、入院動物の心のケアやスタッフの話し相手(ときには人生相談も)になってくれました。ただ、来たときが14才の、慢性心不全のポメラニアンでして、副院長職を約一年半つとめたあと、1997年1月13日、永眠いたしました。今も名誉副院長として、その功績はたたえられ続けています。
→副院長の写真へ
C 某ペットショップで売られた後に先天性糖尿病が発覚し、飼育放棄されたミニチュアシュナウザー、それがナルゾウでした。最初は生死の境をさまよってましたが復活後は、セラピードッグとして老人ホームの慰問などに活躍していました。
D 鍼灸治療は、以前からプロの鍼灸師(人間の)にあれこれコーチしてもらっていたのですが、小動物の鍼灸セミナーはこれが日本で初めてだったので受講させてもらいました。毎月1回、始発と最終の新幹線で東京まで日帰り往復するのは疲れもしましたが、旅行みたいで楽しくもありました。(特に帰りの駅弁がおいしかった・・・)
E 「チャミートレイン」(だったと思います)にて、京都で鍼治療ができる動物病院、としてキヨピー(谷口キヨコさん)に紹介されました。サイン入りステッカーをもらう約束だったのに、忘れられてしまい、今も少しだけ根にもってます・・・
F→記事(抜粋)へ
G これより先、緑書房の愛犬雑誌「Wan」の執筆陣の一員に加わる。毎月の締切に追われ、気分だけは人気作家(笑)。脱稿したあとのビールは格別に美味いんですよっ!
H 8年間、分院の院長として働かせていただき、独立いたしました。その責任の重さ(と借金の額の大きさ)に身震いしたものですが、あの初心はいつまでも忘れたくないものです・・
I いやあ、今年はもうこれだけでも充分いい年でしたね。18年前の優勝時はまだ学生で鹿児島にいたため、優勝決定試合のTV中継もなく、いまいち浸れなかったんですが、今回はたっぷり堪能できました。ただ一つ不満なのは、MVPは井川よりは矢野だったんじゃないかと個人的には思うんです・・・
J 個人経営よりも法人化した方が煩雑さが減るので設立しました。ありきたりな株式会社や有限会社ではなくあえて合資会社にしたのは個人的嗜好です。代表者の肩書が代表取締役ではなく、「無限責任社員」ってところが大のお気に入りです。会社(動物病院)とともに生き、すべての責任は俺が負うぜっ!みたいな響きが良いでしょう!?
K 動物は、もちろん人間も含めて必ずいつかは「死」を迎えます。お釈迦様は、「生老病死」を四苦と呼び、生きとし生けるものすべてが避けられない苦しみである、と説きました。かく言う私も、ナルゾウの死に際してはいろいろな思いや感情が頭をよぎりました。次の一説は、「Wan]11月号の連載記事に書かせてもらったものの一部です。
出だしから私事で恐縮ですが、プロフィール欄で愛犬と紹介されていたナルゾウが八月二十一日に永眠いたしました。先天性糖尿病のために先の飼い主からもペットショップからも見捨てられたのを引き取って8年余り、あるときはセラピードッグとして老人ホームの慰問、またあるときは病院スタッフの採血の練習台として、みんなに愛されながら逝ってしまいました。獣医師の仕事をして10年以上になる私も多くの生と死を見つめてきましたが、身近なものの死はやはりひときわ厳粛に受け止めざるを得ません。時間がたちつつある今も、たとえば車の助手席にナルゾウがいないことに、ふと違和感が消えません。それにしても動物の死を見送るたびに感じ入るのですが、彼らはなぜにああも穏やかかつ軽やかに旅立てるのでしょうか。未練にまみれ不安に慄く我々人間は、彼らから大いに見習うべきなのかもしれません。まったくもって「耳の痛い」話です。
L毎年開催されている「京都市動物愛護フェスティバル」において、獣医師会からの講演ということで、「高齢動物の病気とケア」というお題で語ってまいりました。ふだん、患者さんと1対1でしゃべるのは、さすがに慣れておりますが、200人からを前に話をするのは、京都市役所勤務時代の研究発表以来でとても緊張いたしました。でも語っているうちに徐々にテンションが上がってまいりまして、なかなか楽しい体験をさせてもらいました。50分という制限時間内では語り尽くせなさそうで、、最後のほうはかなり早口になってしまい、来ていただいた方にはお聞き苦しいところも多々あったかと思います。次にこのような機会があったときには、もっとエレガントに語りたいと、向上心を燃やすのでした・・・
M「現代画報」という雑誌で、「京都の病院紹介・伏見版」掲載のため、東京から俳優・村野武範さんがおこしになられました。私の世代の人間には「飛び出せ青春」の河野武先生でおなじみの方で、子供のころは番組の真似をして「レッツビギン!」と叫んでみたり、放課後のグラウンドで地獄の百本シュート!!ごっこをしたりしたものでした。
実物の村野さんはさすが芸能人、男前で爽やかな方でした。用意した色紙には、きっちり「レッツビギン!」のフレーズを入れてもらいました。「食いしん坊、万歳!」の色紙も書いてもらえば良かったかも、と思う今日この頃です(笑)。
→村野武範さんの写真へ
N もともと、人類による地球温暖化や環境破壊については、人並み程度には興味を持ち、人並み程度には「どうにかせなあかんなあ・・」と思ってはいました。チーム加入のきっかけになったのは、「Wan」の原稿を書く際に、話題のひとつに取り上げるため、環境破壊の現状を調べてみたら、そのあまりの酷さに正直驚いてしまったからです。一人一人ができることなんて、所詮たかが知れています。投票に行ったところで政治の腐敗は治らないし、電灯をこまめに消したって地球は終末に向かっているし・・でも、何もせずに指をくわえているよりも、出来る事を一つずつやっていく方が、生き方としてはスマートなんじゃないでしょうか。
O 京都市主催の「動物愛護フェスティバル」。昨年に続いての講演、しかもリクエストで内容は去年のを踏襲してOK,ということで、昨年よりはずっとまともに話せました、と思います。講演を聴きに来られる方のための参考資料をスタッフ全員で夜なべして作ったり、スライドにもあれこれ隠し味をつけてみたり、私自身も楽しめました。
P 虎ファンの皆様、おめでとうございます! 聖地・甲子園で宿敵ジャイアンツを倒しての優勝決定・・なんか、この世がもう終わってしまってもかまへん、みたいなシチュエーションでしたね。正直、出来過ぎ。優勝決定の瞬間は、私も仕事を速攻で終えてTVを万感の思いで見つめていました。細胞レベルでのタイガースファンとしましては、2年ぶりっていうのはちと速過ぎ感がありましたが、ここを逃すと次の優勝を生きているうちに見られないかも、と心に刻みました。
ところで、MVPは誰だと皆様は思いますか?私が決めていいのなら、やはり苦労人の球児にあげたいです。が、通のタイガースファンなら、プロ野球選手会にMVPをあげたい!なぜなら、昨年の流れで1リーグ制になっていたら、プラス今年から交流戦が始まらなかったら、タイガースの優勝はなかったかも・・・と言うことで、古田に一票!
Q 京都市の区画整理事業の関係で、病院の住所が一部変更になりました。
R ナルゾウ逝去から一年半、病院3代目となる犬がやって来ました。トイプードルの女の子で、名前は「おちょう」。来歴その他はスタッフ紹介のページをご覧ください。
→「おちょう」のページ
S 縁あって東京でセミナーの講師をさせていただくことになりました。東洋医学の概論、犬猫のツボのマスター講座、家庭でできるお灸セミナーなどなど東洋医学を、基礎知識のない飼い主さんにイチから教える仕事でなかなか手ごわくやり応えのあるお仕事でした。約4年間、毎月のように京都〜東京を新幹線で往復するのも、ノリ鉄だから楽しゅうございました!
21 講演も3回目となりますとけっこう余裕です。ちなみに3回の講演は講師として最多記録、高校野球でいうなら龍谷大平安高みたいなもの♪
22 期待してたんですけどね・・
23 廣田すず大先生の著書「おうちで簡単猫ごはん」(成美堂出版)の監修作業をさせていただきました。獣医師目線での原稿チェック・編集部との打ち合わせ・校正などなど、楽しい経験をさせてもらえました♪
24 獣医さん相手にしゃべるのは、ボロが出そうでとても緊張します。できれば、やりたくありません。
25 それに比べて、飼い主さん相手にしゃべるのは楽しいです。ジョーク交えるのオッケーだし、反応もよろしいので♪